「誰の味方でもありません」を観光 ~2日目 正義を装備し、正論を振りかざすレフェリー~
こんばんは~
6月19日の空想レポートです。
古市さんの書いた「誰の味方でもありません」の空想観光ツアー2日目です。
↓1日目を読んでいない人は是非1日目からどうぞ
今日の観光スポットは「第1章 炎上したいわけではありません」の「レフェリーは今日も決めつける」です。
内容は、「誰しも気づかないうちに他人の成功や失敗などを勝手に決めつけてしまうレフェリーになってしまう。そしてまたレフェリーもまたそのジャッジをレフェリーにジャッジされる。レフェリーになることで自分を安全圏に置こうとしている。」というような感じです。
昨日の炎上の話にも通ずるところがあるかもしれませんが、「誰かを批判、判断することで自分が正常、普通であることを確認する」というようなことはあるかもしれませんね。
古市さんの文章の中で中島みゆきさんの架空対談が紹介されていたのですが、それは「挑戦するんだけど失敗続きの敗残者と、安全圏を死守する日々で成功を収めた者とでは、どちらを支持する?」という問いに対して、「一つ忘れているよ。失敗と成功の境界線を引くレフェリー気取りの奴、あたし、レフェリー以外は全部支持する」というものでした。
さすがしみる歌を歌う人は違うなぁと思いました。古市さんも「みゆき、かっこいい!」と絶賛しています。
一方で、物事を進行させるには判断するレフェリーが必要だとしたうえで、「1人の絶対的レフェリーに支配されるのは怖いので、多様なレフェリーがいたほうがいい」とも言っています。
「勝手に決めつけるな!俺の何を知ってるんだ!」という気持ちもわかりますし、意見の通らない独裁的なジャッジは不服ですよね。
ちょっと違いますけどスポーツの審判が頑として判定を変えない姿勢に腹が立つことはありますが、ブレたら試合にならないといった感じですかね。ビデオ判定などの客観的な判断も導入されています。
またレフェリーが判断する指標の一つの「正論」について、古市さんは本の冒頭で「正論は切れ味が良すぎる。凶器にもなり得る。正しさとは変化するもの」と言っています。
タイトルにもありますが、「正義」を盾に「正論」を振りかざされては太刀打ちできないですから、ある意味では独裁的ですね。
僕の解釈はこんな感じですが、空想観光ツアーに同行する人の感想は…
1人目(19歳 男性 大学生)
たまにですけど叩かれている人より、ここでいうレフェリー気取りの人の方が腹が立つことがあります。特にネットが多いですけど、よく調べもしないで人を批判するのはナンセンスだと思います。
2人目(31歳 女性 会社員)
良い悪いを判断する材料って自分の中の価値観であったり、世間の意見だったりしますけど、それって正しいとは限らないですよね。でも判断しないことで自分の考えがぶれてしまうのも怖いです。
3人目(27歳 男性 会社員)
正論が鋭すぎるっていうのはわかります。正論言っている時ってなんでか口調も強くなりますし、攻撃している感じになってしましまいます。気を付けないとなって思いました。正論は妖刀ですね(笑)
といった感じでした。
3人目の意見はなるほどなぁと思いました。
確かに正論言ってる時って根拠のない自信というか、虎の威を借りたような気分になりますよね。
でも、正論って正しいですけど良いか悪いかってなるとまた別ですよね。
「男女差別はなくすべきだ」っていうのは正しいですけど、「女性専用車両だけあるのは男性差別だ」と言われたら面倒くさいですよね(笑)
正論なので否定はできませんが、それを声高に言う人がいないところを見るとその辺はさすがにみんな理解できているのかなと思います。
2人目の人が言っていることもわかります。レフェリーとなって判断を重ねることで自分の生きる指標のようなものを作っているのかもしれません。
そう考えると判断することが一概に悪いというわけでもないような気がしますね。
古市さんも「正しさは変化する」と言っていますし、自分の考えをアップデートするために、むしろ積極的に判断を繰り返すことが必要かもしれません。
自分の中で判断する分には問題ないと思いますが、重要なのは1人目の感想にもあるようなむやみな攻撃をしないことですかね。
例えば、女性差別の問題も一部の過激な男性批判を目にすると身構えてしまいますし、関わりたくないなって思ってしまいます。(そんな過激な意見に辟易している女性も少なくないのかなって僕は思うのですが)
もちろんひどいセクハラや差別は存在しますし言いたいこともわかりますが、攻撃して男性を遠ざけてしまったらそこに理解は生まれません。
レフェリーとしてレッドカードをかざすだけでなく、適正なルール作りも必要ですね。
男女は理解しあえるとは思いますが、同じように生きることは難しいと思います。
「みんなちがって、みんないい」ですから。引き分けです。
金子みすゞのようなレフェリーがいなければ気づけない良さもありますよね。
話はそれますが、最後に僕のジャッジを聞いてください。
「論破」って嫌いなんです。正確には「下手な」論破ですが。
「下手な論破」をされたところで「解決」はしないんです。世の中には下手なことに気づかない「論破至上主義」の人がいる気がするのですが、「解決」に至らない一方的で不完全な意見を聞かされたところで不快なだけです。
知識がなくて言い返せないことに腹が立つというのも認めますが、ほんとに頭のいい人なら不快感を感じさせず納得させてくれるはずだと思うんです。
どのプレーが反則だったのか、どんな理由で反則なのか、どういうペナルティがあるのか理解できるような説明をしてくれるレフェリーが優秀なレフェリーだと思います。
下手な論破は反則した人に対して「反則だ!反則だ!」って言ってるだけにしか聞こえない気がします。
ルールを覚えていないのも悪いんですけどね(笑)
っていう僕のジャッジはどうでしょう?
みなさんの様々なことに対するいろいろなジャッジお待ちしています!
↓「誰の味方でもありません」観光 1日目のレポート